◆高校3年生
横浜市内特別支援学校の高等部3年に在籍する子供の母です。
12年間という学生生活を過ごした先に行き場がない…という状況は我が子が小学部に入学したころにすでにありました。
毎年、年度末に学校で開催される「卒業生のお母さんを祝う会」では12年間の子育てを労い、社会人になるお子さんのことを祝っていました。
そして会の最後には先輩方から卒後先の行先(通所先)の報告もありました。
多くの先輩方が、卒後の行き先を報告していました。
社会人となって生活が少々変わったとしても、また先輩方と再会できる未来は不安を半減させてくれるものでした。
しかし10年程前から、年が明けても行き先が決まらず、お別れの会で泣き始める親御さんが出始めます。
しかし、それでも最後には「ギリギリでも決まったんだって〜」と、北部地域で一番大きい重心障害者通所事業所(A事業所)が救ってくれたいう報告を聞いて皆で我がことのように安堵し喜びあって参りました。
ところが、一昨年くらいから事態は更に深刻になっていることが伝わってきました。
卒業生を助けてくれ続けてきたA事業所が、今度は生活介護の利用現場がぎゅうぎゅうになり始め、それに伴い活動内容の変更も余儀なくされ始めているといった内容のもので先輩達の生活の彩りを自分たち後輩が半減させてしまうという心苦しい事態でした。
それは同時に、ささやかながら楽しいはずだった将来の生活時間が決してそうではないかもしれないと言うこと…であり、先輩方の不幸は将来の我が子に通じることでもあり決して他人事ではありませんでした。
同時に「祝う会」の時期には行先も決まっておらず目下実習中のため「祝う会」どころではない家族が出始めました。
主役不在の「祝う会」という事態でした。(その後、その先輩は少し離れた地域の施設に週に3日だけ受入れが決まります。12年間、週5日登校できる体力であった先輩が週の半分は在宅を余儀なくされました。)
そして、今年とうとう恐れてきたことが起こってしまいました。
近年の状態に備えねばと、教職員OBの先生方や親の会の尽力により施設立上げの準備活動をしていたにも関わらず、3月上旬になり開所予定だった生活介護の事業者に認可がおりないという事態が発生。卒業式直前に行き先を失ってしまった先輩が3名発生。
基本毎日登校されていた御家庭が在宅になりかけました。
しかし、ここで、やはり力を貸してくださったのがA事業所でした。
現・生活介護利用者さん達の状況には変わりない苦しい状況下でしたから、A事業所の泊なし短期利用により行き場を失った卒業生の為に一時的な勤務体制を作って下さったのではないでしょうか。
それでも親御さんは物凄い感謝をされています。
皮肉にも両名とも当会員の親御さんだったこともあり色々な心境も伺い知ることが出来ました。
自分が窮地のときに、同情の声掛けは沢山いただるものですが、結局、寄り添って下さる労力を捻出して下さった人(法人)への感謝の思いはあらためて信頼にも通じます。
また、救済現場となるA事業所の泊なし短期の日中開所という措置(勤務体制)に、卒業生のために協力して下さる職員さんがいなければ実現できないことです。
今回、いらっしゃったことも福祉法人さんの日頃の人材の採用基準や教育などがあって実現していただけたことにも思えてなりません。
どうか、子供たちの在宅回避は勿論ですが、通所に伴う移動時間(体力を要する)も軽減される卒業後の平凡な生活の確保に動いて頂けませんでしょうか。
何卒宜しくお願い申し上げます。
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